幼児のクレヨン選択における思考と心理的プロセス
―アート思考・認知心理学的視点からの考察―
1. はじめに
アート活動において子どもが色を選び、構成していく過程には、創造的思考や心理的動機づけが色濃く表れる。今回の事例では、年長児が使用していたクレヨンの色数が限られてきた状況で、同一のクレヨンセットを再提示した際、新たに使っていなかった色を選び直感的に描画を再開した。この行動は、アート思考の観点からどのように捉えられ、また心理的にはどのような認知的・動機づけ的プロセスが働いていたのかを考察する。
2. アート思考における解釈
アート思考(Art Thinking)は、美術的行為を通して「既成概念を疑い、新たな視点を獲得する思考のあり方」である(福原義春, 2017)。提示された「同じクレヨン」であっても、「新しい色」として再認識され、子どもの創造的探究が再活性化したことは、固定観念からの脱却や再解釈が促された結果といえる。アート思考は、問題解決ではなく「問いの生成」に重点を置く(中村政人, 2019)。この子どもの行動も、色の「制限」を「新たな可能性」として捉え直し、内発的に問いを更新したとも解釈できる。
3. 直感的・論理的思考の観点から
ゲシュタルト心理学における「気づき(Aha体験)」のように、再提示されたクレヨンが新しい視点を引き出したことは、直感的判断が働いた結果と考えられる。直感的思考(Kahneman, 2011)は、速く自動的に行われる一方で、経験に基づいた蓄積も背景にある。子どもは過去の経験に基づき「使っていない色がまだある」ことを無意識に判断し、再構成的に選択したと考えられる。
一方で、論理的思考としては、「まだ使っていない色の探索」「絵に合う色の選定」という要素があり、目の前の資源を合理的に活用しようとするプロセスも見受けられる。
4. 心理学的視点からの解釈
4-1. 認知的柔軟性
この行動は「認知的柔軟性(Cognitive Flexibility)」の発露と解釈できる。認知的柔軟性とは、状況に応じて視点や戦略を変化させる能力であり、創造的思考に深く関わっている(Scott, Leritz & Mumford, 2004)。同じクレヨンであるにもかかわらず、これまでとは異なる色に注目したことは、視点の切り替え能力の高さを示している。
4-2. 自己決定理論(Self-Determination Theory)
Deci & Ryan(1985)によれば、人は「自律性」「有能感」「関係性」の3つの欲求によって動機づけられる。提示された新たなクレヨンから色を選び出すという行動は、自律的な選択の行為であり、内発的動機づけ(intrinsic motivation)によってアート活動が続行されたことを示している。
5. 教育的示唆
本事例から導かれる示唆は以下の通りである。
•子どもにとって「同じもの」であっても、提示の仕方やタイミングによって「新しい意味」を持つ。
•制限された資源の中で、創造的な選択を生み出す力が育っている。
•教師の「再提示」は、子どもの自律的思考を促す重要な介入となる可能性がある。
6. おわりに
今回のエピソードは、一見すると些細な色選択の場面であるが、アート思考、直感と論理の交差、そして心理的な動機づけといった多層的な思考・行動のプロセスが見て取れる。こうした日常的なアート活動に内在する「見えない学び」を言語化・可視化していくことが、今後の教育実践を深める鍵となる。
参考文献
•Kahneman, D. (2011). Thinking, Fast and Slow. Farrar, Straus and Giroux.
•Deci, E. L., & Ryan, R. M. (1985). Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior. Plenum.
•Scott, G., Leritz, L. E., & Mumford, M. D. (2004). The effectiveness of creativity training: A quantitative review. Creativity Research Journal, 16(4), 361-388.
•福原義春 (2017). 『アート思考』講談社現代新書。
•中村政人 (2019). 『アート・イン・アクション』フィルムアート社。
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