―「創造性の土壌を耕す」から「理解としてのデザイン」へ―

デザインの「面白がり方」に関する考え。

―「創造性の土壌を耕す」から「理解としてのデザイン」へ―

1.はじめに

立命館大学にて開催された、来年度開講予定のデザイン・アート学部に向けたセミナーでは、「創造性の土壌を耕す」というテーマのもと、デザインの捉え方や向き合い方について議論が展開された。セミナー内では「デザインの面白がり方」がキーワードとして取り上げられ、デザインが知的好奇心を刺激する対象であることが強調された。しかしながら、本レポートでは「面白がる」ことにのみ焦点を当てるのでは不十分であり、デザインを観察し、思考を働かせることで深い理解を学び取るプロセスこそが本質であるという立場から考察を行う。

2.デザインの概念に関する再検討

一般的に「デザイン」は視覚的魅力や感性・センスとの結び付きで語られることが多い。しかし、学術的にはデザインとは「目的をもった問題解決活動の体系」であり、単なる意匠ではない。Herbert Simon(1969)はデザインを「現状をより望ましい状態へ変化させる行為」と定義し、デザインの本質が思考であることを示した。

したがって、デザイン理解とは、表象(見える形)そのものの評価ではなく、背景にある思考過程・意図・社会的コンテクスト・機能へのまなざしを伴う知的行為である。

3.「面白がり方」概念の再評価

セミナーで提起された「面白がり方」は、デザインを楽しみ、好奇心を持ち、積極的に関わる姿勢を促す点で重要である。しかしながら、本研究視点からは、面白がる行為が表層的な「娯楽としてのデザイン鑑賞」に留まった場合、デザインの思考性・批評性・社会性を見落とす危険性がある。

本稿では、面白がり方を以下のように再定義する。

面白がるとは、デザインに込められた意図、文脈、問題解決の仕組みに気づく知的快楽である。

これは、“楽しさ”を否定するのではなく、楽しさの質を「観察→思考→解釈→学び」という認知活動へ発展させる姿勢として捉える試みである。

4.「見る」から「読む」へ:デザイン鑑賞の認知的プロセス

デザインを深く理解するためには、視覚入力を手がかりに内的思考を働かせる必要がある。

このときの認知プロセスは以下の段階を踏むと考えられる。

段階 認知の内容

① 観察 形・色・構造など視覚情報を捉える

② 推論 制作意図、利用場面、価値観を想像する

③ 関連づけ 社会・文化・歴史・技術との関係を読み取る

④ 批評 問題解決の度合い・美学的価値・倫理性を評価する

⑤ 学び 自らの知識・感性・創造行為にフィードバックする

この過程を通して、鑑賞者は受動的な消費者から、思考し、発見する主体へと変化する。

5.デザイン教育への示唆

デザインを「面白がる」ことと、「デザインから学ぶ」ことは対立する概念ではなく、本来は連続している。

真のデザイン教育とは、

•デザインを楽しむ

•デザインの背景を読み解く

•読み解くことで世界を理解する

•理解をもとに新しい解決や表現を生み出す

というサイクルを形成することで成立する。

ここにおいて、デザインは単なる作品鑑賞や技能訓練ではなく、思考を鍛える知的活動として位置づけられる。

6.結論

「デザインの面白がり方」は重要な視点であるが、それが表面的な娯楽に留まる場合、デザインの本質を捉え損ねる可能性がある。本稿は、デザインを深く理解するためには、観察と思考によって意味・機能・意図を読み取る姿勢が必要であると指摘した。

すなわち、デザインとは面白がる対象ではなく、思考を媒介として深く学ぶ対象である。

今後のデザイン教育・デザイン研究においては、「楽しむこと」と「理解すること」の往復が創造性の育成に寄与するという視点が重要になると思える。



大場六夫's Art Random 僕の美術教育論

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