美術教育における主観性と客観性の交錯 ― 感性を育む対話の場としての教育

美術教育における主観性と客観性の交錯 ― 感性を育む対話の場としての教育

美術教育は、単なる技能の習得にとどまらず、主観性と客観性の両面から成り立つ創造的営みである。子どもたちは、自らの内側から湧き上がる感情やイメージを、まだ言語化しきれない「実直な感覚」として作品に表現する。このような感覚は、常に未完成であり、曖昧であるがゆえにこそ、教育の場では慎重かつ真摯に受け止められる必要がある。

ここで問われるのは、指導者としての教員の資質である。子どもたちの表現を評価するにあたり、既存の価値基準や技術的な優劣に頼るだけでは、本質を見失ってしまう。むしろ、教員には、自らが培ってきた審美眼と観察力をもとに、子どもの内なる声に耳を澄ませ、その表現の核にある感情や意図を見極める力が求められる。そして、それを言葉や問いかけを通じて丁寧に引き出していく対話力が不可欠である。

このように、子どもと教員の双方がそれぞれの立場から感覚を働かせ、相互に作用し合うことによって、新たな気づきが生まれる。この気づきは、感性として子ども自身の中に根づき、次なる創造へとつながっていく。美術教育は、そのような「感性の往復運動」を通じて成長を促す場である。

この考えは、美術教育だけにとどまらず学びとして生かされる。


大場六夫's Art Random 僕の美術教育論

アートは、膨大だ。想像は、無限。そのアートを子どもたち(障害児を含む)と一緒に取り組んでいます。参加者募集中です。全国どこからでも参加いただけます。

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